「部活問題」を考える

「部活問題」「ブラック部活」を中心に、現役高校教師Kが学校現場の問題点を考えていくブログです。

私の部活動指導歴(5) 〜「何のために入学させたと思っているんだ!?」と怒鳴られる日々〜

 インターハイ予選後は1年生・2年生で新チームを作っていく。新キャプテンを決め練習を開始したが、競技未経験の部顧問が指導をできるはずもなく、明らかに練習の質は低下していた。見かねた保護者からついに不満が出はじめた。

 

 「外部指導者を呼んでください。」

 

 と言われ始めた。言うのは簡単だが、学校内の組織に外部の人を入れるのが現行制度ではかなり難しい。外部指導者を導入するのはとてもハードルが高い。まず管理職がいい顔をしない。

 

 「私の知り合いが指導してくださっても良いと言っています。」

 

 と言って、いきなり「指導者」を練習場へ連れて来た保護者もいた。安全管理上とても困るのだが、保護者の不満を軽減できるならと思って何も言わなかった。

 「これじゃあダメだよ。こうすればいい。」と初日は私にも部員にもノリノリで指導していたその「指導者」は、案の定2〜3日したら来なくなった。 

 

 当然である。

 

 1日中仕事をした後、スポーツの指導を2〜3時間するのである。自分のために競技を楽しむならまだしも、他人を無報酬で指導するのである。

 1日中仕事をした後に「毎日」数時間のボランティア活動をする生活を続けるなんて、並大抵のモチベーションではできない。

 

 だんだん混迷を増していく「強豪チーム」でついに仲間割れが勃発した。いや、実はしょっちゅう起きていたのだが、去年までは指導力のある顧問が抑えつけていた。実技指導のできない私にそのような重石としての力はなかった。

 

 何人も部員が辞めていった。苦い思い出だ。辞めていく部員の親から電話で

「何のために○○高校へ入学させたと思っているんだ!!どうしてくれるんだ!!」と連日怒鳴られた。

 

毎日練習場に行くのが億劫で嫌だった。

 

部活後に仕事をして深夜に帰宅。

 

シャワーを浴びたら、酒をひたすら飲んだ。酔って現実逃避するためだ。

 

タバコも吸い始めた。次第に酒とタバコの量は増えていった。

 

休日もないため、1年間実家にも帰らなかった。

 

 あの頃の思い出は部活が辛かった、という覚えしかない。教科指導をどのように頑張ったか、なんて全く覚えていない。というか教科指導を工夫する余裕はなかった。ただひたすら教科書を説明しただけだった。難しい教科書ではなかったから、授業に向かう廊下で教科書を開き数分目を通して授業の予習をした。

 そんな準備で生徒の学力を伸ばすことができるわけがない。自分の専門教科だけではない。担任していた学級のこともおろそかになっていた。そのくらい労力の大部分を部活動にあてていた。当時の部員と同様に担任していたクラスの生徒、授業に行っていたクラスの生徒に本当に申し訳ないと今でも思っている。

 

 「早く転勤したい」

 

 ただひたすらそう願い、毎日を耐えた。

もう通常の精神状態ではなかった。