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「部活問題」を考える

「部活問題」「ブラック部活」を中心に、現役高校教師Kが学校現場の問題点を考えていくブログです。

私の部活動指導歴(6) 「もう顧問をやめる。勝手にしろ!」

私の部活動指導歴

 指導のできない若い顧問に部員は冷たかった。言わば「ナメられ」ていたのだ。

 

強くなりたい、インターハイに出たいと期待してこの高校に来たのに、待っていたのは素人監督。

 

彼らの失望感は分かるつもりだった。ある程度は我慢したがもう組織として部が維持できない限界に来ていた。そんなある日あまりに生意気な部員の態度に堪忍袋の緒が切れた。ついに部員の一人と言い合いになった。

 

 私「分かった。もう我慢できない。顧問

  はやめる!自分たちで好きにやれ。」

部員「!?」

 私「ボランティアで顧問をしてきた俺に

   向かってその態度は何だ?

   もう我慢できない!やめる!」

 

 怒鳴る私を初めて見て部員たちも驚いたようだったが、まさか私が本気だとは思わなかったようだ。私はその日以来練習に顔を出さなかった。ここまではよくある「先生の芝居」パターンだが、私は本気だった。例年出場していた練成試合(公式戦ではない合同練習試合のようなもの)もエントリーをしなかった。引率責任はない大会だったが、高校生の大会は引率者がいなければエントリーできないものが多い。

 休日返上、学校の業務も深夜に後回しにして、自分の生活も犠牲にして部活動に付き添ってきたのに部員にバカにされ続けもう我慢ができなかった。4月から9月までの半年で丸々1日休めたのは8月15日の1日だけだった

 

 教頭もいる職員室で「もう顧問を辞める。今後一切関わらない。」と何度も怒鳴った。教頭は私を止めることなく黙っていた。

 

 翌日、その部員の保護者が電話をしてきたが「僕は辞めます。本気です。そもそも部顧問はボランティアです。今度の大会?そうですね、顧問がいないと出場できません。校長に言って新しい顧問を見つけてもらってください。」のみを繰り返した。他の保護者からの電話も同様にあしらった。

 むしろ校長に直談判してほしい、と思ったくらいだ。立場上、管理職は時間外や土日の勤務を「命令」はできないはずだ(超勤4項目を除く)。私に対してなんと説得してくるのか見ものだと思っていた。

 「(職務命令と)思ってもらって構わない」と校長は言っていた。「職務命令だ。顧問をやれ。」と言われたら「勤務時間内のみの指導と公式試合のみの引率でいいですよね?」と返すつもりだった。それ以上は命令できないハズだった。

 

 最初は「先生のパフォーマンスだ」くらいに思っていたらしい部員たちも、事態の重大さに気づき始めた。何しろ「大会には出場するのが当たり前」「先生はチームについてくるだけ」くらいに信じ込んでいたのに、実は顧問が影で仕事をしてくれていたからこそ出場できていた、ということに初めて気づいたのだ。彼らにとっては衝撃的事実であったに違いない。

 それくらい「部活動があって当たり前」「顧問がいて当たり前」「指導してもらって当たり前」が学校と世間の常識なのだ。

 部員を代表して部長が謝りに来たが、「俺は顧問を辞める。もう顧問ではないから大会引率もしない。誰か他に引率してくれる先生を探せ。そもそも謝るべきは君ではないだろう?」と諭した。

 部長には気の毒だったが私も本気だった。そうしなければ自分が壊れてしまいそうだった。いやきっともう壊れていたと思う。数日にわたり荒れ狂った私の剣幕が尋常ではなかったからだろう、校長も教頭も何も言わなかった

 

 それからしばらくして、例の部員が泣きながら謝りに来た。後ろには部員全員がいた。全く悪くないのに泣いている部員もいた。最初は冷たく突きはなそうと決意していたのだが、これにはさすがに怒りが収まった。部員の謝罪を受け入れた後、板挟みにしてしまった部長には私もきちんと謝罪した。

 

 今振り返っても、この時の私の行動が正しかったとは思っていない。しかしあの時の私はこれ以外の選択肢がないくらい追い詰められていた。

 

 この後、しばらくはギクシャクした関係が続いたが、生徒は一応私へ敬意を払うようになり、チームは部活動らしい規律を少し取り戻した。チームの雰囲気は練習の質向上にもつながった。

 秋の県大会では優勝こそできなかったが、1年生主体のチームで上位入賞しシード権を守り抜いた。技術指導はまだできなかったが、練習計画を部員とともに作り、ちゃんと練習試合を企画したり県外遠征も実行した。もう保護者が口を挟んでくることはなくなった。呆れたのかもしれないし、諦めたのかもしれないが・・・。

 

 そして3月が来て私は標準勤務年数の満期となり、転勤を命ぜられた。部員と保護者会は送別会を開いてくれた。あんなに嫌で仕方なかった部活動だが、1年間共に過ごした部員たちを残して去るのは心苦しかった。私が去った後の顧問が簡単に決まるとは思えなかったから彼らの今後のことがとても気がかりだった。

 しかしやはり「これで部活から解放される」という思いの方が強かった。離任式の後、帰りの車中で「終わった・・・もう2度とこんな思いをしなくて済むんだ」と思った瞬間に涙が出てきた「2度とあのスポーツには関わらない。絶対に。」そう固く自分に誓った。

 

       ーーーーーーーーーーー後日談ーーーーーーーーーーー 

 

 ちなみにこの1年半後、この1年生たちは目標であったインターハイへ出場した。チームとして3年ぶりの悲願達成であった。私が転勤した後も競技経験のない先生が顧問になったが、顧問をうまくリードして部の運営をしたそうだ。彼らからインターハイ出場を知らせる手紙を頂いた時はとても驚き、そして素直に嬉しかった。その手紙が私の心に刺さったままだったトゲを抜いてくれた気がした。